褒めるって本当に必要か?
ご褒美が嫌いだ。
そして、ご褒美を求めてやる行為が嫌いだ。
ご褒美とは何か?
【褒美】
①ほめて与える品物や金銭。褒賞。
②褒め称えること
褒めるとは何か?
【褒める・誉める】
優れているとして、その人や事を良く言う。
褒めるは良い行いに報いる返しで使われ、
誉めるはみんなに持て囃される、良い評判を得ると言う意味で使われる。
誉めるは目上の人にも目下の人にも使えるが、褒めるは目上の人に対して使うのは失礼。
嫌いな言葉だらけになってきた。
調べてみると感覚的に嫌いだったものが説明できるようになってくる。
褒めるとはそもそも上から目線の言葉であり、対象者をリスペクトしていない。
対等関係なら褒めるという行為は存在しない。
この上下関係感がまず嫌い。
そして、ご褒美は”生まれるもの”ではなくて、”与えるもの”だから嫌いだ。
与えたり、与えられたり、それをモノでやり取りしたりする。
ご褒美欲しいというやつは志が自分に向いているようで他人に向いている。
「頑張るから誰か何かくださいね」という姿勢が嫌いだ。
俺は自分の大火のために挑む奴が好き。
「ご褒美あげるから頑張って」も嫌いだ。
人を楽して操ろうとする奴だ。
効率はいいかもしれないがそういうやつは”ピュア”じゃない。
結果、俺が嫌いなものは”嘘”だ。
自分の言葉に嘘をついてとりあえず褒める
自分の心に嘘をついて褒美を欲しがる 自分の志に嘘をついて人を操る
そんなスタンスが嫌い。
最近では”自分へのご褒美”なんていう奴がいる。
嫌いだ。笑
この場合の嘘は自分の努力への嘘だ。
自分へのご褒美の裏側には罰がある、我慢がある。
「今日は頑張ったから自分へのご褒美」
変換すると
「今日は自分に嘘ついて我慢したから慰めのご褒美」
「これ嫌いだけどやらないといけないから終わったらご褒美買うことにしよう」
勉強頑張ったからご褒美。
仕事頑張ったからご褒美。
ご褒美なんて本当にいるのだろうか?
仕事そのものが、自分の人生そのものがもう最高じゃん。
これ以上求めるの?
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