ご飯

ご飯の時間って、無駄だな〜って思うことが多いです。


人は食べていかないと生きていけないけど、

現代の日本に生まれた時点で生き延びること・死なないことはほぼ達成できていて、

現にそれに一生懸命になっている人はそこまで多くない。


みんな明日が来ることを前提に生きている。


僕はご飯を食べることに時間をなるべく使いたくない。

1日1食とかもざらにある。


食にこだわることを否定しているわけではなくて、

”僕にとっては”食の優先順位はそんな感じ、という話。


食べることが好きな人はこだわって時間をかけて食べたり、

美味しいお店を探したり見つけたりすればいいと思う。


僕はかなりの馬鹿舌なので、

美味しいお肉を食べても「うめ〜」と思い、

吉野家の牛丼を食べても同じように「うめ〜」と思う。


好き嫌いもそこまでないので大抵のものは食べられるし美味しいと思う。

だから損してるな〜と思うときもあるし、得をしていることもあるだろう。


ただ、「ご飯」にはもう一つ価値があって、それはコミュニケーションツールとしての価値。

「飯行こうぜ」とご飯によってコミュニケーションが生まれる。

家族で食卓を囲むのもそれだ。


ここにはかなり価値を感じているので、ご飯はなるべく人と食べたいという話でした。

そしてご飯だけじゃなくて、たくさんのものが価値をコミュニケーションに移しているように感じる。


成熟社会を迎えて、衣食住に困らなくなってきた人たちが求めるのは効率化。

効率化が進むとコミュニケーションがなくなってくる。

今は人と関わらなくても生きていける時代なので、コミュニケーションを取れない人が増えている。


ひと昔前には当たり前だった道案内が人から機械に移り、

「困ったら人に聞きない」と教わっていた僕らはもう古くて

「困ったらスマホで調べなさい」になっている。


厄介なのは便利になりすぎたせいで聞くことがしにくくなっていること。

「なんで調べればわかるのに聞いて来るんだこいつ」という空気が蔓延している。


結果、人はこれから双方向のコミュニケーションを欲す気がする。

SNSで発信するのも、いいねを欲しがるのもコミュニケーションが取りたいのではないか。



話が逸れたが、本来書きたかったことは

①モノの価値は複数ある場合があり、今までの価値を疑い始めなくてはならないのではないか?

②価値観に対して、良い悪いで語ることが好きではなくて、好き嫌いで語りたい



これからブログには自分の好きなこと・好きなもの

嫌いなこと・嫌いなものについてもどんどん書いて行こうと思います!


明月陸

生き様・日々の挑戦の記録

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