指導は僕にとってどこか”怖いもの”

僕は基本的に選手のことを全員「ものすごい存在」として見ている。

これは僕が指導者を始めたきっかけから来ているように思う。


僕が正式にコーチをするようになったのは社会人チームの選手時代。

そのクラブはは独自のサッカースタイルを志向していて、小学生から社会人までが同じスタイルを貫こうとしていた。


僕はそれを選手として自分の中に取り込もうとして、コーチを始めることにした。

子供達のためなんてのは全くなく、自分が上手くなるために子供達を参考にしていた。

当時クラブは人不足だったこともあり、僕はコーチになれたわけだけど、

本来ならやる資格のある動機とは思えない。

でも、そんなスタートだったからこそ、今に生きている部分もある。


僕の感覚値だが、「選手は自分より劣っている」という前提で指導をする人は結構多い。

僕からするとそんなわけはない。


今の子供たちはメッシやクリロナのなどトッププレーヤーのプレーをハイビジョンで死ぬほど観れる環境にいて、コーチもスクールもチームも多数あって、それらを選ぶことができる。


何より子供は天才だ。


観たものをすぐ体現したり、僕が考えもつかないようなことを平気でやりだす。

実際最初のクラブでは大人より子供たちの方がサッカーのクオリティは高かったし、吸収度も高かったように思う。

だから僕はいつも選手には何かを期待しているし、僕の言いなりにはなって欲しくない。


ただ、枠を与えてあげるのは指導者としての仕事だと思っている。

そしてその枠をぶち壊す選手を待っている。


トレーニングは僕にとって毎回が戦いだ。

仲間である選手たちといつも戦っている。


明月陸

生き様・日々の挑戦の記録

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